もう長いこと懸案だった家の壁のはがれかけたブリックの撤去がやっと終了。
費用もかかるだろうし、日数もかかるだろうし、誰に頼んで良いかわからないし、
ということで、この建物を購入以来、ずっと放置。
台風が来たり、地震なんかで揺れるたびに、
「あのブリックが落ちて、通行人の方が怪我でもしたら・・」
と気に懸かっていた。
別の修理で、大工さんに来てもらったときに、ちょっと相談してみたら、
左官さんを紹介してもらい、
3日間かけて、危険なところの撤去と、塗り直しまでして頂いた。
仕上がりはきれいで、
別の場所にあった、ヒビの入った部分もコーキング(?)でふさがれていた。
だいたい建築関係のことを頼むと、
自分が予想したよりも高い料金を請求されることが多くて、
あまり、さわやかな終わり方をしないものだけど、
今回の工事については、特に心配なこともなく終わって、
これからも何かあったら、また、お願いしようと思う。
さて、さあこれで、心配事がひとつ無くなるかと思っていたら、
確かに、ひとつは無くなったものの、
ほかの心配事で、やっぱり心のメモリーの大半を食われている。
そのほとんどは、自分の仕事のことで、
直近では、苦手な相手のところに、苦手な仕事をしに行かないといけないし、
ここ数ヶ月のうちには、役所から呼び出されて、お説教を食らう予定もある。
そのときは弁護士さんもお願いしないといけない。
昨年末、具合を悪くした母親も、手術は無事に終わって退院予定だし、
両親とも、介護保険やらを利用しつつ、暮らしいけそうだし、
娘たちも、こちらからアクセスしなければ、音信不通なのは、暮らしは順調ということだろう。
結局、自分の心配事は、自分のことだけで、
どちらかというと、シアワセと言ったほうが良い。
特に、今日、明日、急になにか起きるような心配事でもないのだから、
ちゃんと準備して対応すれば、大丈夫なはずなのだから。
なのに、こういう気分になるのは、単なる心配性だからか。
心配事の9割は起こらない、というタイトルの本があったと思うが、
自分の体験でも、心配事のほとんどは実際は起こって来なかったのだから、
もっと自信をもっていいはずなんだけど・・・。
このところ、普段のコミュニケーションがいろいろ不足しているような気がする。
会議ごとは、たくさん出席して、発言もしているのだけど、
そんなことより、
お酒を飲みながらでも、馬鹿話をするのが、ストレスを溶かしてくれるかもしれない。
やはり、コメントをもらうのは嬉しい・・・
そんな着地。